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私は昭和53年7月12日、千葉県に生まれました。姉が既におりましたが、初男児という事もあり、男の子を欲しがっていた父は私の誕生をとても喜んだのだと、後に聞かされまた。"人との「和」を大事にする"という意味と"坂本龍「馬」"の一字づつを取り「和馬」と命名されました。私はてっきり「昭和の馬年だから、和馬なのだろう」と勝手に思い込んでおりましたので、20歳過ぎた頃に初めて名前の由来を父から聞いた後は、益々自分の名前に誇りを持てるようになりました。
しかし私は生後2歳から気管支喘息を患ってしまう事になります。そこから私と病気との闘いが始まりました。薬で治せる位の発作であれば自宅治療が可能ですが、服薬も効果が出ない程の大発作になりますと、病院に行くしかありません。特に大発作は夜間に起こる事が多く、私は何度も深夜に父の車で病院に行っていました。言葉には出さずとも、父の疲れたような表情を目にしていくうちに「人には迷惑を掛けない生き方をしていこう」という気持ちを強く持つようになりました。この気持ちが「体調を崩した時に、職場が病院であれば、人に迷惑を掛けずに済むじゃないか」という気持ちに変化していくのに、大して時間は掛からなかったように思います。この気持ちが軸となり、私を心理学科に入学させ、病院に就職させてのだと考えています(もちろん現在は発作を起こさず健康な毎日を過ごしておりますが)。
ですから幼稚園から中学卒業位までは、学生生活の思い出というより、むしろ「如何に自分の身体をコントロールするか」「如何に喘息を軽い症状で治める事が出来るか」等と"常に自分自身に焦点をあてた"生活を送っていたという印象が強く残っています。
もちろん病気になるという事は、基本的にデメリットが多いのですが、逆に病気になった事で「健康である事の重要性」を知る事が出来ましたし、「今までこの病気と闘ってきたのだから、この先どんな悲しい事、辛い事があっても立ち向かっていけるぞ」という心の強さは身に付ける事が出来たのではないかと思います。
今でこそ発作を起こすことなく、健康に毎日を過ごせている私ですが、幼い頃発作を起こすと「姉・弟は健康なのに、どうして俺だけこんな身体に生まれてこなきゃならなかったんだ」と、理不尽に親を恨んだ事も一度や二度ではありません。しかし自分が成長し、青年になって初めて「あの頃の両親の苦労は、発作時の私以上のものだったかも知れないな」と思うゆとりも生まれてきました。もともと優しい両親ですし、尊敬していますので、良い関係を築けていると私は勝手に思っておりますが、いつか両親が年老いて身体が動かなくなってきた時、今度は私が両親を支えていこうと決心しております。
私は大学の心理学科に所属していた事は前述の通りですが、大学2年時に「単に大学を4年間通った程度では、心理学では飯を食っていけない。心理学を生かして、精神障害者をサポートする国家資格である精神保健福祉士を取ろう」と決心しました。そのように決めてからは学費を稼ぐ為に、朝はコンビニでアルバイトをし、昼間が大学の授業、夕方家庭教師をし、夜はピザ屋でデリバリーをするという生活を繰り返していました。
大学卒業後の専門学校時代は「国家試験に合格する事」「就職を早い時期に決める」を2大目標として掲げ、それがクリア出来るような生活を送っていたと思います。その結果、見事国家試験にも合格し、就職も40数人のクラスの中で1番に決まりました。そして横浜のとある精神科病院へ、平成15年4月に入職しました。
入職後は業務を覚えると同時に、自分の資格の範疇以外の分野も学ぼうと必死でした。もともと定時で仕事を終えて早く帰ろうという風潮の強い職場ですが、その中においても夜遅くまで働き、土日出勤もしておりました。
そのように努力していると「この仕事はこのように改善すると、もっと能率が上がるのではないか」「業務をこのように変化させると、職員のモチベーションが上がるのではないか」という意見が、次第に生まれてきます。
しかし、これは病院という機関に限った事ではないのかも知れませんが、"今まで行ってきた方法を見直し、改善する"というのは、非常にエネルギーを使いますので、多くの職員は「そんな面倒な事言わないで、今まで通りやろうよ」と言ってきます。そのような意見にも臆する事無く、様々な業務提案をしている私に対して、数人の職員は「あいつは今までやってきた事を変えようとしている、面倒な奴だ」と私を位置付けていたのではないかと思いますし、院長からは「君達はまだまだ若いし、君達の主張の80%は間違っているのだから、上司の言う事をやっていれば良いのだよ」と言われた事もありました。
その言葉を聞いて退職していった同僚・先輩もいましたが、私は「どんな職場にも至らない点がある。マイナス点を探せばキリが無いのだから、今の職場のプラス点を探しながら、今まで以上に業務に取り組もう。その上で新たな領域を学べるチャンスや、自分自身が飛躍出来るチャンスと巡り会えたら、その時はそのチャンスを逃さないようにしよう」と、今まで以上に仕事に取り組むようになりました。
私はもともと福祉職として病院勤務しておりましたが、就職して半年後位から、「何だかんだ言ったって、福祉も金が無いと出来ない事が多い。それなら経営を勉強しよう」「どんな事業も利益が出なければ継続出来ない。経営は全ての事業に共通した学問なのだから勉強してみよう」と思うようになりました。
最初は「イヌでも分かる初心者の為の経営」のような類の本を読みながら、キーワードを単語帳を使用して勉強するという方法でしたが、それがいつしか多くの著名な経営者が書いた、ビジネス書を貪り読むようなスタイルに変化していきました。その中で船井総合研究所の代表取締役社長である、小山政彦氏の著した"「素頭」で1億円稼ぐ仕事塾"という著書の中の「その組織のあり方は90%トップで決まる」という記述に出会いました。経営を学んでいくうちに「自分もいつか経営コンサルタントになりたい」という気持ちはありましたが、この記述を読んだ時「自分も必ず経営コンサルタントになり、トップから変える事で、クライアント先を甦らせたい!」と強く願うようになりました。
このような生活を2年数ヶ月間程、送っていたある日、ふと私の目に、ある求人広告が目に止まりました。それが経営戦略研究所の求人広告だったのです。
私は先ず経営戦略研究所のホームページをチェックしてみる事にしました。そこには充実した内容の記載が盛りだくさんであると同時に、岩渕社長のプロフィールが載っていました。「偶然の出会いというのは本当にあるのだな」と思わずにいられなかったのが、岩渕社長が以前船井総合研究所に所属されていた事です。私がコンサルタントになろうと強く決心するきっかけを与えてくれた小山政彦氏が社長をしておられる会社で、社長賞を頂くまでにコンサルタントとしての能力を発揮されていた岩渕社長。「岩渕社長にお会いしたい!」と思わない方が不思議です。
とにかく私は先ず熱意を伝えたくて、岩渕社長宛てに手紙と履歴書を送らせて頂きました。幸いな事に、本来であれば「セミナーの前のこの忙しい時に、こんな手紙読んでいる暇無いよ」とつき返されても不思議でない拙い私の手紙を、岩渕社長は読んで下さり、しかも「面接に来て下さい」と仰って下さいました。この面接日が平成17年5月6日。最初に夢に日付が付いた日です。
そして面接後、採用の御連絡を頂き約1ヵ月間、アルバイトとして働かせて頂きました。もともと「いつかは経営戦略研究所の正社員になりたいな」と思っていた私ですが、岩渕社長の人柄・考え方・仕事に対する妥協を許さないスタンスに触れ、奥様の泉さんの優しい指導を受け、更にセミナーに参加しておられる歯科医院の院長・スタッフの方々との出会いによって、私は「一日も早く経営戦略研究所の社員になりたい!」という気持ちに変化していきました。
そして7月末日で病院を退職し、正式に平成17年8月1日から経営戦略研究所の正社員1号として入社しました。
8月からは事務所で事務作業をする傍らで、岩渕社長のコンサルに同行しております。
日々の業務の積み重ねの中で、はっきりと、力が蓄積されてきているのが分かります。
今後とも皆様と共に地域一番の医院を作っていきたいと思っております。
宜しくお願い致します。